院長の知恵袋
2014年6月 一覧
華岡青洲
- 2014.6.10
華岡青洲は江戸中期に活躍した人物で、実例として証明されている麻酔手術を行った医師としては最古の人だとされています。
華岡青洲は宝暦10年(1760年)紀州(現・和歌山県)の医師の家の長男として誕生し、23歳のとき京都へ出て古医方とカスバル流外科を学びました。
この頃の青洲は手術での苦しみを和らげたいと考えていました。そんな時、昔、中国に華陀という医師が麻沸散という麻酔薬で手術を行って多くの人々を救ったと知り、自身も麻酔薬の研究に打ち込むようになったのです。
そして、研究を重ねた結果、曼陀羅華(チョウセンアサガオ)と草烏頭(トリカブト)を主成分とした麻酔薬を完成させたのですが、人体実験の段階の至り行き詰ってしまいました。
そんな時、青洲の母の於継と妻の加恵は自ら実験台になることを申し出たのです。数回の人体実験の結果、母の死と妻の失明という犠牲の上に全身麻酔薬「通仙散」を完成させたのでした。
これにより青洲は46歳の頃、文化元年(1840)10月13日に全身麻酔による乳がん摘出術を成功させると、それまでタブーとされてきた外科手術、骨折整復、骨がん、脱痘などを麻酔を使って行う手術を成功させていったのです。
その後、「紀州に麻酔手術の青洲あり」と言われほどに青洲の名は知れ渡ったのです。
高血圧2
- 2014.6.9
現在日本の死亡原因は、1位がん、2位心疾患、3位脳血管疾患ですが、このうちの2位と3位に高血圧が深く関わってきています。
そして日本は全国で高血圧の人が約3000万人(4人に1人の割合)と推定されているほどの高血圧大国なのです。
理由のひとつに挙げられるのが、塩分の摂りすぎであるといわれています。
世界的に見ると、1日あたりの摂取量は、ヨーロッパで5~6g、アメリカだと8~10gに対して日本は11~13gとなっています。
これは味噌、醤油、漬物、焼き魚など日本の伝統的な食事が塩分を多く含んでいるものが多いことが原因と考えられています。
このことから現在の厚生労働省では1日の目標塩分摂取量を6gとしています。
高血圧
- 2014.6.8
高血圧とはWHOの基準によれば、最高血圧が160mmHg以上で最低血圧が95mmHg以上のものであるとされています。
高血圧の症状としては、頭痛、めまい、肩こり、動悸などが挙げられますが、これらは他の起因による原因と区別がつけづらく、一概に高血圧による症状とは言えず、むしろ自覚症状は感じられず、感じたときはかなり危険な状態といえます。
このことから高血圧症はサイレントキラー(沈黙の暗殺者)呼ばれることがあります。
血圧が高い状態が続くと、さまざまな障害が起こります。まず、動脈硬化が促進され血管に負担がかかると血管が破裂したり、血の塊が詰まったりするということが起こります。これが脳で起きれば脳出血や脳梗塞になってしまうわけです。
また一方で、心臓はたくさんの血液を送り出さなければならないので心肥大になり、最終的には心不全や虚血性心疾患の原因となります。
その他では、血液を濾過して尿を作る腎臓にも負担をかけるので腎不全の危険も出てきます。
血圧
- 2014.6.7
血圧とは血液が血管に与える圧力のことを言い、通常は動脈の血圧を指します。
血液は心臓から送り出されるのですが、その動きとして、心臓が収縮して血液を送り出すときに血圧は最大になります。これを最高血圧と呼び、反対に心臓が拡張し血液量が最小になると血圧も最小になり、これを最低血圧と呼びます。
人間での血圧の正常範囲は最高血圧で130mmHg未満、最低血圧で85mmHg未満です。ただし、これはすべての人々に共通とされているので高齢になれば若干の上昇があるので、この基準より少し高い程度ならば気にすることはありません。
また、血圧は食事を摂った後、または少し走った後、そして病院に行って緊張したりなどのちょっとした変化で変動してしてしまうので、記録としてみるのならば、毎日同じ時間帯でゆっくりと落ち着いてから測るのがよいでしょう。
鼻血
- 2014.6.6
鼻からの出血を鼻血といい、医学的には鼻出血と呼ばれます。
外傷・腫瘍・炎症などが原因で起き、キーゼルバッハ部位という鼻に指を少し入れたとき指先で触れることのできる中央の堅い部分からによる出血が大半です。
止血方法は、座った姿勢で顔をやや下向けにし血を飲み込まないようにして鼻の下の方(小鼻)を指で5から10分ほど圧迫します。大概の場合これで治ります。
よくする、鼻にティッシュを詰めるのは抜く時に傷をつける恐れがあるので、する場合は、軽く詰めるように心がけてください。
また、仰向けに寝たり頭を後ろに反らすのは、血液が口の方に流れる危険があるので止めましょう。
ちなみにチョコレートやピーナッツの食べすぎや、性的興奮で鼻血が出るというのは迷信です。
杉山和一2
- 2014.6.5
前回お話した杉山和一という人は、杉山検校と呼ばれることがあります。この検校というのは当時では盲官の最高位の名称であり、このことからもわかるように杉山和一は盲人でした。
杉山和一は戦国時代に活躍した藤堂家に仕える武家の出身でしたが、幼い頃伝染病により失明したことで刀を捨て医の道へ入ったのです。
そして杉山和一が75歳の時、前回話したように江戸で大成するのですが、その活躍が耳に入り当時の将軍徳川綱吉を治療することになりました。
杉山和一の優れた治療に感心した綱吉は、元禄6(1693)年杉山和一に「何か欲しいものはないか。」と問うたところ、「目が欲しい。」と答えたそうです。そこで綱吉は本所一ツ目の地を与えたのでした。
杉山和一は本所一ツ目に鍼・あんま技術の取得教育を目的とした「杉山流鍼治導引稽古所」を開設しました。
そしてこの「杉山流鍼治導引稽古所」こそ、世界初の視覚障害者教育施設だったのです。
杉山和一
- 2014.6.4
鍼を刺す方法といえば、日本人ならほとんどの人が、針を針より少し短い管に入れ、管から出ている鍼の柄をたたいて刺すというイメージがあるでしょう。
これは管鍼法と言い、今の日本の鍼灸では主流といっても過言ではないですが、この方法が発明されたのは長い歴史を持つ鍼灸においては比較的新しく、江戸時代の初期頃であります。
そして、この管鍼法を発明したのが、後世に近代日本鍼灸の中興の祖とまで言われている杉山和一なのです。
この杉山和一という人は、生まれつきノロマで物忘れが激しく、さらに不器用だったので最初に弟子入りしたところでは破門されるほどでした。ですが破門され実家に帰る途中に躓いてこけたときに刺さるものがありました。それは竹の筒と筒の中に入った松葉でした。
この出来事をヒントに発明したのが管鍼法でした。
その後、杉山和一はまた別の場所で弟子入りして学び直し、江戸で開業し大成したと伝えられています。
華陀
- 2014.6.3
麻酔とは、手術中・手術後の痛みの除去ならびに手術に必要な身体状態の維持や筋肉の弛緩をえるために用いられるものであり、現代医療においてはなくてはならないものです。
この麻酔を最初に発明したのは、2世紀から3世紀頃の中国(後に三国時代と呼ばれることになる時代)に活躍した中医師・華陀と言われています。
華陀は養生の術に精通しており、インド大麻を原料にしたとみられる『麻沸散』という薬を用いて外科手術を行っていたとされていますが、残念ながら文献としての記録が残されておりません。
当時、華陀は民衆から「神医」と呼ばれており、今でも医術の神として崇められています。
マッサージ
- 2014.6.2
マッサージとは、器具・機械などをを使わず徒手のみを用いて人の体表面に力学的・機械的刺激を送り込み、一定の生体反応を引き起こすことにより、疾病の治療・予防を図るという手技療法であります。
また、名称からも分かるようにマッサージとは西欧諸国で発展し、明治20年ごろから日本に導入された治療法です。
器官別に効果を見てみると以下のようになります。
1)筋に対する効果:筋の緊張を緩和
2)神経に対する効果:神経線維に働きかけ疼痛を緩和
3)血流に対する効果:静脈還流が増加し、血流を促進
4)リンパ流に対する効果:リンパ流派リンパ系に外から及ぶ力に依存しているので、
リンパ流が促進
このように適応を選べば、マッサージは有用な治療方法なのであります。
筋力増加のメカニズム
- 2014.6.1
筋力を増強させるには、トレーニングをすることによって小さな(ミクロレベルでの)損傷を与え、その後に十分な栄養補給と十分な休息を与えます。
そうすることによって、筋肉はまた筋繊維が損傷しないようにと筋繊維を増やし太くします。
このメカニズムを「超回復」と言います。
注意点は、ついトレーニングの頻度を多くしてしまい、十分な休息を取らない、ということにならないことです。
十分な休息を取らないと、「超回復」が得られず慢性疲労が蓄積してしまいます。
次に、トレーニング初期は神経衝撃の増加、簡単に言うと神経の働きかけが上がるので短期間で効果が得られますが、筋繊維自体はまだそれほど増えてはいません。
このことから、トレーニングはおおよそ三ヶ月程の長期的計画で行うのが望ましいといえるでしょう。