院長の知恵袋
杉山和一2
- 2014.6.5
前回お話した杉山和一という人は、杉山検校と呼ばれることがあります。この検校というのは当時では盲官の最高位の名称であり、このことからもわかるように杉山和一は盲人でした。
杉山和一は戦国時代に活躍した藤堂家に仕える武家の出身でしたが、幼い頃伝染病により失明したことで刀を捨て医の道へ入ったのです。
そして杉山和一が75歳の時、前回話したように江戸で大成するのですが、その活躍が耳に入り当時の将軍徳川綱吉を治療することになりました。
杉山和一の優れた治療に感心した綱吉は、元禄6(1693)年杉山和一に「何か欲しいものはないか。」と問うたところ、「目が欲しい。」と答えたそうです。そこで綱吉は本所一ツ目の地を与えたのでした。
杉山和一は本所一ツ目に鍼・あんま技術の取得教育を目的とした「杉山流鍼治導引稽古所」を開設しました。
そしてこの「杉山流鍼治導引稽古所」こそ、世界初の視覚障害者教育施設だったのです。